地味で上質なものの価値
私の伝えようとしているローゼンメソッドは、一見とても地味で、写真や動画に撮ってしまうとなんだかつまらなさそうに見える。
右脳的な感覚で味わうものなので、言葉で論理的に説明することも難しい。
なので、実際に身体で感じてもらわないとその良さが伝わらないのだが、
私の伝えようとしているローゼンメソッドは、一見とても地味で、写真や動画に撮ってしまうとなんだかつまらなさそうに見える。
右脳的な感覚で味わうものなので、言葉で論理的に説明することも難しい。
なので、実際に身体で感じてもらわないとその良さが伝わらないのだが、
ポイントは、時間をかけてその人やものを見ることの大事さを無視してきている現代の感覚ではないだろうか。効率が悪いので、時間をかけすぎているとせかされる。時間はお金に換算される。
それでは、その人の全体を見ることはできない。
Awareness(気づいていること、目覚めていること)は、スピリチュアリティの分野でいわれてきたことだけれど、感染症の流行をきっかけにここまで意識の二極化が進むと、もうこれは日常の中でもあたりまえに使われる概念になってきているかもしれない。
このタイトルからして、人をギクッとさせるものがあるけれど、これは私自身が反省すべきこととして、ずっと気になっていたトピックだ。
どうも私は、自分の信ずることや勉強してきたこと、もしくは自分で発見した真実などを、ずばりと言いすぎるようだ。
身体の反応は、時間をかけて見守ることが大事なのだ。
なので、言葉によるフィードバックも、タイミングがとても重要ということになる。
癒しのまとめに必要なのは、やはり言葉にすることなのだ。
身体が満足するまで、好きなだけ休むということに、日本の社会人の方々は慣れていない。
実際、それは仕事場では許されないのが現状だろうし、自分でも自分にそれを許さない部分があると思う。
自然に沿って生きていれば、心と身体は健康でいられるのだ。けれども、身体と魂の声を無視して無理を重ねていくと、そのひずみは身体にたまり、病気になっていく。
必要以上に何かを手に入れなくても、人間は生きていけるように作られている。