Awareness(気づいていること、目覚めていること)は、スピリチュアリティの分野でいわれてきたことだけれど、感染症の流行をきっかけにここまで意識の二極化が進むと、もうこれは日常の中でもあたりまえに使われる概念になってきているかもしれない。
ローゼンメソッドのワークの中では、スピリチャルという言葉はあまり積極的には使わないけれど、身体や自然からのメッセージにセンサーを向けて気づいていくためには、最終的にはスピリチャリティを受け入れなければ、ローゼンを十分に味わいつくすことはできない。
ただ、頭で理解しただけのスピリチャル、まがい物のメンターから植え込まれたスピリチャルがあまりにも多く、せっかく同じ時間をかけてワークを受けても、それが浸透していく身体と、なかなか入っていかない身体とがあるのは残念だと、いつも思う。
時間をかけて辛抱強くこのインパクトの弱いワークを続けていくことで、浸透する身体になっていくので、どんな人にも可能性はあるのだけれど。
単純に言えば、感受性、センサーの違いだ。このセンサーはすべての人に生まれたときから備わっているのだけれど、大人になるにつれて、そのセンサーは鈍ってくる。感覚をオープンにして仕事をするアーティストなどは、比較的生まれたときのセンサーを維持できているけれど、一般には社会の厳しさにもまれるうち、敏感なままでいることが苦しくなってくる。つらい感覚を受け入れたくないので、無意識にセンサーを鈍らせることで、社会に適応している人も多い。
身体が辛くても、心がボロボロでも、センサーがそれを感じなければ当座はやっていくことができる。ところが、意識には登らないけれど実際に身体にのしかかっている負荷は、実は消えていない。
それは心身に蓄積されて、いつか噴出して、病気やメンタルの問題としていきなりやってくる。
センサーが敏感な人は、それはそれで生きづらい。世の中の邪悪な部分や化学物質、電磁波などを感じ取ってしまうことで、自分の身体にでてくる不具合や不快な反応に苦しんでいる人は多い。
それでも、センサーを自ら壊すより、よくないものを察知する力は残しておきたいかもしれない。
センサーを維持していれば、心身魂にいいものに触れたとき、それはすうーっと自分の中に浸透していくし、偽物はすぐに察知することができる。
ムーヴメントのクラスでは、錆びてしまったセンサーを少しずつきれいにして、また感じ取れるようにしていくという話をよくする。
時間をかければ、きっと感覚も蘇ると信じて、続けていってもらえると嬉しい。
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