自分が今いる場所の土を耕し、種を蒔いて、花を咲かせて、コミュニティも豊かにしていく。
そんなことができればと思って、移住してからひたすらローゼンの種まきをしてきたのだが、なにかが足りない。どうしても、種から根が出ない、という感覚があった。
ローゼンメソッドなどという横文字でよくわからないものを持ってこられても、古くからの素晴らしいものがたくさんある土地には、必要ないものなのか。新しい種(外来種)を受け入れてくれる柔らかい滋養のある場所には今のところ出会えていない、と思うのは、感謝が足りないのだろうか。
そんな思いを抱えながら、先日とある山中の診療所で地方創生に取り組んでいる統合医療の医師のリトリートに参加した。
もともと無医村だったというこの村に、東京から田舎の常識もわからず移住してきた最初のころは、やはり相当な苦労をされたようだ。けれども今は、医療以外の部分でもしっかりとコミュニティの一員となって、自然の循環に沿った、この土地ならではの天や地の恵みをいただいた食養生をベースに、地域包括ケアを実践されている。
地方というものが自発的に元気になっていく、そのムーヴメントの大元はやはり、”癒し”の発想、そして医療と農耕と避難所が一体化した太古の昔からの考えを思い出すことではないだろうか。
その発想は、実は農家である友人とも日頃からよく話していることなのだが、それを形にして実行されている先生に、私の今の悩みを聞いていただいたところ、「自分の専門だけをやっていてはダメだ」「必要とされることに目を向ける」とのお言葉。金槌で頭を殴られたような衝撃だった。
たとえば、アフガニスタンで用水路を開拓した中村医師のように、その土地の人に必要とされ愛されること、そこから人々が健康になっていく道がひらけるということもヒントになるだろう。
自分の今住んでいる場所で、まず人々が必要としていることに目を向けて、もっと気軽にコミュニティの中で人々とつながっていくことが大事なのだろうと思う。ローゼンはある意味、敷居が高かったかもしれない。いったん体感していただければ、全然ハードルは高くないことがわかるのだが、全く知らない人から見れば、そういう印象なのかもしれない。
偶然、数か月前からローゼンとは全く関係のない映画の上映イベントを地元でプロデュースすることになったのだが、これも自然な流れなのだろうと思う。
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