ゆるRMムーヴ

カテゴライズって必要?

前々から違和感を感じていたことだけれど、ビジネスの世界では(もしくはそれ以外でもお金がからむと)、人を分類分けして特徴やパターンで人を判断することが多いように感じている。
いわゆるプロファイリングっていうのかな。日本では犯罪心理の世界で主に使われているようだけれど、たとえば顧客をタイプ分けして、彼らがどういう行動を起こしやすいか、どんなものに興味を持つかをそれぞれのタイプごとに設定して、それに従って戦略を練っていく。それはビジネスの手法として当たり前のことのように公然と行われているけれど、人ってそんなに単純じゃない。

そもそも、心理学というものを、人の心や行動を読むために使うこと自体、あざといなと感じてしまう。人をタイプに分けてカテゴライズすること、そこから人を判断することはわかりやすいし、効率的に時間を使わないといけない世界では、必要とされるものなんだろう。
でも、どこのカテゴリーにもあてはまらない人やものもある。
それを無理やりどこかに当てはめて、これはこう対処すればオッケーなどど簡単に判断されても、そこからはみ出るものは必ず出てくるし、はみ出たものは効率主義の世界では切り捨てられる。

これまで何度も言ってきているけれど、人はひとりひとり違う。
身体や心の状態も、そんなに単純に医者や心理士の診断で名前を付けてレッテルを貼れるものではない。名前が付けば安心する人もいるだろう。治療する側も、カテゴライズしたほうがやりやすい。周囲のスタッフに説明するときも、一言で済むし時間を短縮できる。
でもその中でうまく伝わらない現実もある。誤解や誤判断が生まれる可能性はあるだろう。

ポイントは、時間をかけてその人やものを見ることの大事さを無視してきている現代の感覚ではないだろうか。効率が悪いので、時間をかけすぎているとせかされる。時間はお金に換算される。
それでは、その人の全体を見ることはできない。

ローゼンのボディワークでもムーヴメントでも、私は通常の2倍の時間をかけている。ワークそのものは通常1時間という規定のようなものはあるが、その前後にゆったり焦らず相手と一緒にいる時間を持つようにしている。そして、その人独自の姿を受け入れる。
それでは人数をこなすことはできないが、それでいいのだ。
ハワイ時間とか沖縄時間とか、時計に支配されないゆったりした時間の感覚は今でもある。
そういうところでこそ、人は自分がわかるのではないかと思う。

そして、ローゼンムーヴメントというワークそのものも、どこにもカテゴライズされにくい、今の現代社会からはみ出たものであると感じている。どこかに分類されれば、人は「ああ、こういうものだろう」と予想することはできるが、どこにもあてはまらない(ダンスでも体操でもヨガでもない)ので、不可解なものとされてしまうことが多い。
でも、現代のカテゴリーを超えたところにあるものも、実はたくさんあるのだ。

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